昭和45年12月21日 夜の御理解
宮ノ陣の阿部先生からお電話がかかった。若先生に。花畑の教会長先生石橋先生の亡くなられた時、阿部先生にとってはお父さんに、実父にあたられますからね。それであのう、そちらの若先生に、お葬式の祭員をお願いしますと言う事だったらしんです。その長く悪かって、あの胃がんでございましたですからねえ。それで病院に行かれましたけれども、どうせ長くない命だからと言われて帰されておられた。して家で療養中であった、あられたらしいんですけれどね。
ほんとにもうお年と言うても、荒巻先生よりも確か若い位でありましたからねえ。まあ一生道の為に捧げられて亡くなられたというだけでも、尊い事ですけれど。まあそれよりも私は今日、そのちょ、それを聞いてすぐに直感しました事は、お繰り合わせを頂いて亡くなられたなと言う事で御座いますですね。というのはあのなら昨日だったら、ここの報徳祭でございますしね、第一先ほど善導、あのう善導寺に電話しましたら、あの祭主を頼まれておられたあちらが。
それで今日はもう遷霊がありますから、今日からもうおい出ておられる。勿論宮ノ陣はお子さんにあたられますから、もういち早くあちらにおい出になってはならんじゃろうとこう思う。ほすと明日の報今日の報徳祭が、もし昨日であったらもうここの報徳祭が大変に大きく変わっておっただろうと言う事で御座いますね。まそう言う所から思うても、合楽なら合楽を中心にして、神様が動いてござるというのではなくてですたいね。
(そいけん?)御霊様もそういうご神意、お計らいの中に、おかげを受けておられると言った様な事を、あれ是思わして頂いてね、おかげを受けておられるなあと、私思わして頂いた。また同時に、ここもお繰り合わせを頂いておったんだと、改めて思わして頂いて、そういうお繰り合わせの中にああしておかげを受けておった事が分かりますですね。